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関西戦中派の会・津村忠臣代表の歩み

安倍談話以来、約1ヶ月更新をサボっておりました(汗)
申し訳ございません。

今回から関西戦中派の会・津村忠臣代表の戦争体験を数回に分けてご紹介いたします。
津村さんは大東亜戦争で陸軍第一気象連隊に所属し、ラバウル、ペリリューなどを転戦され、戦後は「関西戦中派の会」を結成し、「戦後体制脱却」「自虐史観脱却」を訴える活動を長年行っております。
関西戦中派の会のHP
私は今年の3月に津村さんのご自宅へお邪魔し、お話を伺いました。その内容をこちらでご紹介いたします。先ずは、津村さんの大まかな軍歴をご紹介します。

昭和17年2月1日  中部92部隊(第1飛行連隊飛行教育隊)に入隊
昭和17年4月25日 中部第131部隊(第1気象連隊)が編成。第3中隊に配属。
昭和17年9月1日  陸軍一等兵に進級。同時に精勤章。
昭和18年3月1日  陸軍上等兵に進級。
昭和18年5月25日 第12野戦気象隊に転属。
昭和18年6月    ラバウル上陸。
昭和18年12月    ウエワク港(ニューギニア)上陸。
昭和19年2月    ペリリュー島上陸。
昭和19年6月    ハルマヘラ(インドネシア)に上陸。
??          第13野戦気象隊に転属。
昭和20年5月    陸軍兵長に進級。
昭和20年8月15日 終戦を迎える。(暗号書の焼却などに忙殺される)
昭和21年      「楽団ブルーバード」を結成。ハルマヘラ演芸大会にて優勝。
昭和21年6月3日  和歌山県田辺港上陸。復員。

以上が、津村さんの軍歴です。では、ここから津村さんの歩みをご紹介いたします。

鳥取県三朝町に生まれた津村さん。地元は三朝温泉がある「温泉の町」で、子供の頃は風呂場が遊び場だったそうです。父親は海軍軍人で第一次世界大戦に従軍。祖父は陸軍軍人として日露戦争で満州へ行ったという、いわゆる「軍人一家」でした。
津村さんも兵役検査を受けて合格しました。特にどの軍隊に入りたいという希望はなかったそうです。ちなみに、津村さんによると、兵役検査で入隊する者は大体その地域の陸軍に入隊するそうです。ただし、飛行隊に関しては、地域の区別はなかったそうな。
津村さんは岐阜県にある第一飛行連隊に入隊するという通知が届きました。しかしその直後に大東亜戦争が勃発。
津村さんはそれを受けて、「早く入りたくて仕方がなかった」そうです。早く兵隊に入って、国の為に尽したい。その想いでいっぱいだったそうです。

今回はここでおしまい。次回は津村さんの初年兵時代から紹介いたします。(いつになるかな・・・)
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「安倍談話」は謝罪外交からの訣別への第一歩

安倍談話が発表されてちょうど10日。安倍政権の支持率もやや回復傾向にあります。
これも安倍談話の影響かもしれませんね。

前回まで3回に分けて安倍談話の内容を見て、それぞれの部分で感想を述べましたが、今回は全体について述べたいと思います。
まず、全体的な印象として、一部保守層は「素晴らしい!!!」と狂喜乱舞していますが、私はそうは思いません。そんなに持ち上げるほどの内容ではないと思います。
最終的には「謝罪」「お詫び」の文言が入りました。安倍総理は不本意だったことでしょう。週刊新潮の記事によれば、談話を発表した日に安倍総理の顔に笑顔はなかったそうです。

ですが、私はこの談話を断固支持します。
安倍総理は現時点で出来る最大限のことを行ったと思います。
例えば、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と言及したことは非常に重要です。歴代の総理大臣は近現代史における事件を肯定することはほとんど出来なかったと思います。しかし安倍総理はそれを打ち破り、「日露戦争はアジア・アフリカ人を勇気付けた」とまで言いました。

そして一番重要な点は「次の世代に謝罪の宿命を背負わせてはならない」と言い切ったことです。「もう謝罪外交はしない!!」という安倍総理の並々ならぬ決意が伺える一言です。
「安倍政権で本当に良かった」と思える談話でした。

私の友人がブログで以下のように述べています。

日本が国際社会の理解を十分得た上で新たな歩み―すなわち、戦後レジームからの脱却―を踏み出す一歩となったように感じます
「Happy!を創る3つの法則」より


私も全く同感です。
中韓も全否定できない。アメリカも注文をつけにくい。

今回の談話は間違いなく成功したと言えるでしょう。

「安倍談話」についての雑感<3>

(前回からの続き)
 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

<にゃ感想>
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

今回の安倍談話最大の意義がこの一言にあります。
「もう謝罪はやめにしよう!!」という安倍総理の大きな決意がこの一言に集約されています。この一言を入れるのに、裏でどれだけかけひきがあったのだろうかと思います。
これで村山談話は骨抜きになりました。村山富市氏自身がそれを認めていますから(笑)
村山元首相、安倍談話を批判 「引き継がれた印象ない」:朝日新聞デジタル

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

<にゃ感想>
ここでまたも女性の人権について盛り込まれています。
「これは慰安婦のことではなく、辱めを受けた日本人女性など、全ての女性のことを指す」という見方も存在しますが、現実の国際状況から鑑みるに、慰安婦問題を念頭に置いての発言と考えたほうが自然だと思います。
中韓のプロパカンダによって「安倍晋三は性奴隷を肯定する歴史修正主義者だ!!」という大きな誤解が広がりつつある中、そのイメージを払拭しようとしたのでしょう。
この長い談話で、女性の人権について2度も言及したのは、その表れかもしれません。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三

<にゃ感想>
安倍談話クライマックス。
就任当時から言っていた「未来志向の談話」であることを示していると思います。
実に前向きな内容で締めくくっています。


さて、3回に分けて安倍談話に対する感想を述べました。
次回は全体的な評価について、述べたいと思います。

「安倍談話」についての雑感<2>

(前回からの続き)

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

<にゃ感想>
「植民地支配からの訣別」「民族自決の尊重」これは重要なポイントの一つです。
今でも異民族に対し民族自決の権利を認めず、「植民地支配」と言っても過言ではない行いをしている国が存在します。
言うまでも無く、中華人民共和国です。
これは中国へのある種牽制・・・は少し希望的観測過ぎますか(笑)

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

<にゃ感想>
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
ま、この部分は致し方ないですが・・・。結局のところ、「お詫び」に言及せざるを得ない。戦後レジームが強固であることを示していますね。
ところで「隣人であるアジア」として筆頭に挙げたのは、なんと台湾でした。中国と台湾を別々に扱い、しかも中国より先に台湾の名前を挙げました。北京に歯ぎしりが聞こえてきそうです。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

<にゃ感想>
「日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さん」
わざわざ「日本軍によって」と付ける必要があったのか疑問ですね。苦痛を受けたのは日本軍捕虜の方なんですが・・・。
これも致し方ないのでしょうか。

(続く)

「安倍談話」についての雑感<1>

昨日(8月14日)、安倍晋三内閣総理大臣は記者会見を開き、戦後70年談話が発表されました。
私はこの70年談話は、右からも左からも批判されるような中途半端な談話であれば、出すべきではないとSNSでは述べていましたが、結果してどのような談話となったのか。全文を読みながら、私の感想を述べたいと思います。


 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

<にゃ感想>
冒頭、まず欧米列強による植民地支配に言及し、教科書で否定的に捉えれる事の多い富国強兵政策がその原動力となったこと、そして日露戦争における勝利がアジア・アフリカの有色人種に希望をもたらしたことをはっきりと述べました。
特に日露戦争についての言及は重要です。戦後の歴代総理の中で、大東亜戦争のみならず日清・日露戦争を評価した総理を私は知りません。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

<にゃ感想>
この部分は自虐史観ではなく、当時の我が国における外交戦略の欠如についての言及です。
安倍総理も述べている国際連盟脱退、「爾後中国国民党政府を相手とせず」という近衛声明など、当時の日本外交における戦略の欠如は著しいものでした。
これについて言及するのは当然のことと言えます。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

<にゃ感想>
この部分の前半は大東亜戦争で犠牲となった先人たちへの哀悼の誠を捧げるという安倍総理の純粋な気持ちが伺えます。
ですが、問題の部分が。
「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。 」
言うまでも無くこれはいわゆる「慰安婦問題」のことを指しています。わざわざ「女性」について言及しているのには、正直違和感を感じました。

<次回へ続く>
プロフィール

日本男児

Author:日本男児
平成7年8月1日生まれ
大阪府在住

自分が生まれ育った日本という国が大好きで、反日勢力が大嫌い。
昨年からは拉致問題啓発団体・大阪ブルーリボンの会でボランティアとして、街頭署名活動にも参加。
昨年から歴史勉強会にも積極的に参加。最近は大東亜戦争についていろいろと勉強中。
安倍政権は支持していますが、移民政策、国家戦略特区、TPPには基本的に反対の立場。
よろしくお願いします。

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